圧倒的なリアリティ、の欠如

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菊田幸一『日本の刑務所』などを読んでいたわけです。最近は教養の法学を教えたりしているので、専門以外で普通の学生が興味を持ちそうなところも押さえておかないといけないし、くらいの動機で。しかしこれはいったい何だろう。

価値判断の関わる部分というのは確かにあって、その点に関する評価は差し控える。著者が主張するような、普通に稼いで普通に使える社会復帰を重視した刑務所という考え方は十分に理解可能だし。それを支持するかと言えば他にいろいろ考慮しなくてはならない要素もあるわけだが(例えば予算的制約というのも大きな問題だろう、著者は「社会が教育のために収容するのだからその出費を負担するのは当然」程度の論理でスルーしてしまうが)、少なくとも検討に値する立場として認めることはできる。しかしそこに至る過程というか、その立場の正当性を論じる叙述がひどい。

まず著者の論理は至る所で自己撞着している。例えば著者は「『法的権利・義務関係』は、刑務所においては、その大部分が現場での『所長達示』の類によるものであって、ほんらいの意味での法律に基づいた権利・義務関係ではない」(p. 16)あるいは「現実には、現場にもっとも近い刑務官の『指示』が、受刑者の人権に直接かかわる日常生活に規制を加えるものとなっている」(p. 20)と指摘し、このような状態を「法の支配」に反するものと批判しているが、その一方で「ある所長が斬新な処遇を実施したとしても数年で転勤し、その後任者が、そのやり方を継承するとは限らない」(p. 22)とも批判している。しかし法律に規定された事項であれば継承されないなどということはあり得ないだろうから、ここで言う「斬新な処遇」は著者の言う「法の支配」に反するものに他ならない。いったい著者は何をしろと言いたいのか。(念のために言うとここで著者が使っている「法の支配」はかなり特殊な意味で、行政法の一般的な理解に反するものと思われるが、ここではそれ以上つっこまない。)

あるいは58ページ。刑務所内で必要なものの多くを自弁で購入する必要のあること、矯正協会がそこから収益を得ていることを指摘して「刑務所での生活にも金がかかり、これらを購入できない受刑者は、みじめな思いをしているという」と批判している。はあ、もっともですな。そこで続けて「アメリカの一般刑務所では、身の廻りの日用品は所内でコンビニエンス・ストアなみに購入できる。(……)要するに覚せい剤等に関係する禁制品以外は何でも購入できる」。じゃあ買えない奴は余計みじめじゃねえか。

個別の記述についてはもうどこから指摘していいかわからないくらいである。公職選挙法は禁錮刑以上の受刑者に選挙権を認めないが、拘留刑執行中の者には不在者投票を認めている。そこで「同じ自由刑でありながら選挙権に差をつけているが、その区分基準は明白ではないし、論理的に説明されてはいない」(p. 28)。拘留は罰金と同程度の軽い罰で、禁錮・懲役はそうではないからではいけないんでしょうか。刑法でも完全に区別されて規定されているような気がするが。懲役作業に対する賞与金の額が少ないことを批判する文脈で、「これでは家族への送金どころではない。(……)身内の刑務所入所により、家族も自由刑の余波を受けるという点でまさに家族刑を科しているといってさしつかえない。(……)刑務作業による大部分の収益は国庫に帰属し、受刑者の賃金を剥奪しているという意味では、ここでも自由刑以外の財産刑を付加しているといってさしつかえない。」(p. 121)。さしつかえるよ。家族が経済的不利益を受けないようにって、国が受刑者の賃金補償でもすんのかよ。そもそも強制労働をさせるから懲役刑なんだし、それが受刑者にとって損害になるから刑罰なんだろうが。「刑事施設という抑圧された世界においてこそ、あらゆる分野の書物を読む機会が奪われてはなるまい」(p. 98)。なんでだよ。「雑居房では、余暇時間にテレビを集団で観るため、一人だけテレビを観ずに本を読むことは事実上むずかしい」(p. 103)。知らねえよ。『刑務所の中』じゃあ結構みんなで違うことしてたぞ。

念のために言うと、私は別に日本の刑務所の現状は素晴らしくて改善の必要などないと主張したいわけでは毛頭ない。名古屋刑務所の虐待事件はどうなるかわからないけど、著者が指摘している不服申し立て制度の不備などについては改善の必要があるだろうし、いろいろと問題はあるだろうと思っている。しかしまあ、これはいったいどうしてこんなことになるのだろう、というわけだ。

そう、そこで『刑務所の中』である。銃刀法違反で実刑判決を受けた漫画家の花輪和一によるこの作品は、圧倒的なリアリティをもって刑務所の中の生活を描き出す。何をするにも「願いまあす」と声を上げて許可を受けなくてはいけない刑務作業、雑誌のクロスワードも解けない厳しい規律、それでも楽しい集会やお正月、規則に従順に従う一方で大して反省してもいない受刑者たち……。『日本の刑務所』に出てこないのはこのような現実の受刑者たちとその生活である。著者は「四〇年間にわたり犯罪問題を研究してきた」(p. 203)専門家であり、「監獄人権センター」の副代表であり、受刑者へのインタビューなどを駆使して刑務所の現実を認識してきた、はずである。比較研究のためにアメリカの刑務所の実際も見聞した、はずである。だがしかし。

この本の中にないのは、日本の刑務所のリアリティだけではない。上述した通り著者は普通に稼いで普通に使う、受刑者同士・あるいは面会に来る人々とコミュニケーションの取れるアメリカ型の刑務所を優れた処遇と考えている。しかし普通に考えればすぐにわかるように、受刑者同士がコミュニケーションをとって自由に行動できる環境ではある種の徒党が形成されるだろうし、暴力による「ふれあい」も可能になってしまうだろう。面会に来た人々からはいろいろなものが入手できてしまうだろうし、その売買市場が形成されるだろう。一緒に出て行ってしまうことも可能かもしれない。受刑者からの聞き書きをもとに書かれた『刑務所の王』が描き出しているアメリカの刑務所は、メンツと暴力と徒党と違法薬物の流通を中心に形成される、別の掟を持った社会である。メンツを傷つけた受刑者に対する復讐、あるいは対立する人種集団同士の抗争は、そこにないはずのナイフを用いた殺人に及ぶこともまったく珍しくない。もちろんそこで使われた証言がどの程度真実なのかはわからない。しかし例えば稀代の殺人者テッド・バンディが死刑に処されるまでに二回も脱獄に成功してしまっていることを考えると、リアルなのは『刑務所の王』の記述であり、理想郷として脱色された筆者の記述ではない。

結局、筆者は何も本当に見てなどいなかったのだ。本書を通して気付くのは、日本の刑務所については良い話が何一つ書かれておらず、海外の刑務所の悪い話も何一つ書かれていないことである。しかしいかなる刑事政策を採用するかという問題が一定の価値判断を含む以上、ほとんどの国の制度にはある意味で良い点とある意味で悪い点があるはずである(あらゆる意味で良いと言えない最悪の刑務所、というのはあり得るかもしれない)。善悪の両面を包括的に観察する努力の代わりに筆者がしていたのは、あらゆる情報の自分に都合のいい部分だけを集めたパッチワークを作り上げることなのだろう。筆者の四〇年は何だったのか、少なくとも刑務所の「研究」と呼べるものではなかったに違いない。

ついでに一点だけ。いくら一般向けの新書とはいえ、判決の年月日を一切書かないというのは法学者の文章としてどうなのか。裁判所の名前(「広島地裁は……」とか)を挙げるだけではトレーサビリティがまったく確保されないと思うのだが。

  • 菊田幸一『日本の刑務所』岩波新書、岩波書店 2002。
  • 花輪和一『刑務所の中』プラチナコミックス、講談社 2004 (originally published by: 青林工藝新社 2000)。
  • 井口俊英『刑務所の王』文春文庫、文藝春秋 2003 (originally published by: 文藝春秋 2000)。

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コメント(9)

菊田の本、後学のために本屋で立ち読みします。しかし、日記から垣間見る限り、問題は著者よりも、訳わからない文章を平気で通してしまう編集者のほうにありそうです。

瞥見した感想:筆者=人権屋系でむぱ
読まなくていい本を教えてくれて大屋先生どうもありがとう、ていうか引用文だけでお腹一杯になりました。。

念のために言うと文章が一見して支離滅裂というほどひどいわけではありません。むしろ、この程度の論理水準でいいからとにかく日本の刑事司法なり国家なりを批判して欲しい人というのがいて、十分に市場が成立することを見抜いた編集者が慧眼であるということなのかもしれません。

ついでにもう一冊紹介。斎藤充功『刑務所を往く』ちくま文庫、筑摩書房、2003。これは花輪・井口のように実際に入ってしまった人ではなく、見に行った人による本で、その意味で菊田と同じ立場ながら非常に興味深くできている本です。しかしこれ、『実話GON!』か何かの連載をまとめたものなのですな。カストリ雑誌に負ける岩波新書というのも、いったい。

「WWWみてるとサラリーマンの人が一杯本買っててうらやましい」と非常勤二こまくらいで暮らしてくる人々の会話(私の月収もそんなもんですが)。

京都くらいでも公立図書館ではやはりあまり揃わないという罠。刑務所に入ったら何でも好きな本を読める世界になったら就職できない人文屋が犯罪しまくって、PhBとかSTWとか19世紀に出たフィロンの全集だの校訂版がいまだに出てないオッカムのインキュナブラ版とか刑務所から好きなものお取り寄せする世界になるやうな気がふとしました。

ドリトル先生じゃないんだから>刑務所に入ったら勉強ができる。

時間がある人は本代がない。本代を稼ぐと読む時間がない。とかくこの世は生きにくい。本を読まずに本を書くのがコツでしょうか、やはり。

こんな菊田が明大の法学部教授だからたまらないよ

こういうのが大学教員として通用するのだから
終わっている。

「無知な国民を啓蒙している」なんてヌケヌケと
言うのだからたまったものではない。

菊田本人か家族が犯罪に巻き込まれて
一度痛い目に遭えば、
今度は今までの主張を180度転換するに違いない。

文系の人間すべてを決め付けるつもりはないが、
こういう人物は生産的な研究を何もしないんだよな。

菊田の著書は、法医学を勉強していた時だったかに
読んだが内容がpoorだ。あんな本を買わされる人間が
かわいそうだし紙資源の無駄だね。

まあ身内が殺されて死刑賛成派に転じた弁護士さんというのもいたような気がしますが、「その痛みを乗り越えて」とか言っていっそうコアな人になってしまう危険性なきにしもあらず。
彼の職位についてはあちらさんがそれで良いのだとご判断の上でのことでしょうからあたしゃ知りません。特に私学ですから、そういう判断をしたことの帰結というのは(肯定的であれ否定的であれ)当事者が引き受ける問題ですしね。個人的には、これだけの手間であれだけの本が書けるんだからたいそう生産的な話だなあと感心しております。深読みすること。

菊田と関わりのある学生は、あらゆる意味でかわいそう。
わが医学部においても法学に関する教室があり、
そこの先生に菊田の事を話すと彼は「あの人は変わった人だからね」と言いながら侮蔑的な笑みを浮かべて
いた。

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