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自由と負担

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会議室に監禁される3日間、とりあえず終わり。私は重度の凝り性なので、ずっと座りっぱなしで同じ姿勢をとり続けると本当につらいのですよ。肉体的苦役を強制されることは基本的人権の侵害なので採点作業は免除してくれと主張してみるのはどうでしょうだめですかそうですか。

さて。2004年2月28日の朝日新聞朝刊「私の視点」は、裁判員制度をテーマにしていた。興味深かったのは、その中でも弁護士の田鎖麻衣子氏の意見と、中学3年生からの投書が、まさに対極と言っても良い位置にあったことである。

なにも中学生を悪く言おうというのではない。むしろ彼女の意見は普通に良心的な市民の本音を良く表現していると思う。つまりこうである。裁判に多様な視点を導入できる裁判員制度は良いことだと思うし、強い関心がある。しかしそれは一方で、非常に重い負担になり得る。被告人に同情してしまうかもしれないし、恨まれるかもしれない。殺人のような重大事件において生死の決定権を持つこと、裁判の秘密を一生背負わなくてはならないことも問題である。結局、裁くために必要な知識を学校などで教育する必要と、裁判員になることを強制しない方が良いという提言で終わる。大学入試の小論文で書かれても良いような出来の短文である。(このくらいの文章が出てきてくれれば採点も楽しいだろうに!)

正直とはこのようなものだろう。正しいし、関心もあるから、やってみたいのである。もし負担がなにもないのなら、もし被告人の人生を背負わなくて済むのなら。しかしそのようなことはあり得ない。現実の裁判は常に、誰か具体的な個人の運命を左右しなくてはならない決断である。そんなものを好きこのんで背負いたがる人間がいるだろうか?

だがそこに田鎖氏は希望を見ようとする。市民が裁判員として参加することによって、「市民が死刑の問題に正面から向き合うようになると期待される(……)裁判員に選ばれて自分が死刑判決に関与するかもしれないとなると『知らない』では済まなくなる」。中学生がためらいを感じた地点ことこそが希望だというのである。

「それは重いからやりたくない」という中学生の言葉は素直なものである。しかし、彼女が担いたくない当の負担が社会の中で必要とされており、かつ自分も社会の一員としてその恩恵を享受しているならば、自分はイヤだということは結局それを誰かに押しつけることに他ならない。そしてそれは社会の行使する暴力に自分もまた荷担しているのだという事実を隠蔽し、不可視のものとすることにつながるだろう。人々に裁判過程とそこで行使されている権力の暴力性を知らしめること、その自覚を持ってもらうことをこそ、裁判員制度の最大の意味と考えるならば、中学生の素直な信条を無視してあくまでも無作為に問答無用で裁判員の義務を押しつけるべきなのだ。

人を裁くこと、殺すことの重みを受け止めつつ、しかし私は裁く・私は殺すと言うとき、自らの責任において正義を唱える個人の姿は現れるだろう。重要なのはそのような個人を育てるために必要な制度を整備することであって、田鎖氏のように、人々の「素朴な正義感」や「一般的な感覚」に対してどこか超越的な位置から批判してみせることではない、とも同時に思うわけではあるが(念のために言うと田鎖氏の意見には、審理の迅速化が検察側の証拠開示が十分になされない場合には被告人の権利保障を損なうという点など、妥当な指摘も多い)。

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 先日の連続幼女誘拐殺人事件の最高裁判決が出ていたので 法科大学院生らしく斜め読みをしていたのだが(おい この弁護人の名前どっかでみたことあるんだよなぁ…なんて 思っていま 続きを読む

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よこはま さんのコメント (2004年3月 2日 09:33):

この中学生は正直である以上に、きちんとものを考えており、現実には一般の人はこの中学生ほど裁判員制度をまともに問題として受けとめていないと思います。ややシニカルな言い方をすれば、人が(とりわけ生殺与奪を直接左右する)権力を手にするということは、ある種のエポケー抜きにはなしえず(つまりは合理的ではない)、民主主義はエポケーを正当に許容する制度なのでしょうね。

おや痔 さんのコメント (2004年3月 2日 14:42):

> 会議室に監禁される3日間、とりあえず終わり。私は重度の凝り性なので、ずっと座りっぱなしで同じ姿勢をとり続けると本当につらいのですよ。

採点,お疲れ様でした.ずっと椅子に座りっぱなしというのはさぞ大変だったのではないかと思います.自分も論文を書いているときは,とても大変でした.ずっと椅子に座りっぱなしというのは,ご存知のように私の宿痾に大変悪い影響を与えます.w 一度はこちらで定評のある以下の病院で看て貰って,完治したと思ったのですが,直ぐに再発しました.

 http://www.ishiyamahp.jp/index.html

おおや さんのコメント (2004年3月 5日 23:24):

>よこはまさん
ええとその通りだと思います。というかこの文章が90分程度で書けるならいますぐウチの学部に来て欲しいです。何が「昨年よりも取り組みやすかった」だ馬鹿野郎(←意味不明のヤツアタリ)。

その上で言うと、「でもそれでいいのか」ってのは考えて欲しかったところなのです。つまりちゃんと重みを感じるまともで正直な人が裁判員をいやがるとしたら、それでも引き受ける人間というのは何なのか。法律の知識が十分にある人間は排除されるようになっているので(私もやらないでいいはず。わあい)、つまり知識も能力もないのに人を裁く気満々の人間だけが残ることになるわけです。

なので私としてはエポケーにもとづいてなんとなく引き受けるのではなく、その重みを理解した上であえて背負うという人間像を民主主義の中に求めたいわけですよ。理想主義的ですが。

おおや さんのコメント (2004年3月 5日 23:28):

>おや痔氏

どーでもいいけど、君ちゃんと治しておかないと今後が大変であるぞ。採点作業は疲れたらコーヒー取りに行くとか少しは自分の都合で動けるけど、教授会なんて下手すると5〜6時間座りっぱなしなんだから。

鰤 さんのコメント (2004年3月15日 00:30):

>ちゃんと重みを感じるまともで正直な人
だからこそ嫌がるのでは。「アシジのフランシスコには政治は出来ない」マックス・ヴェーバー

ちなみに切ると再発するとききました>あれ
内科的療法で根治しないとだめぽだそうだ。

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