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法哲学会レポート(6・完)

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最後に一つ。

社会は変わりやすいものかそうでないかというのがシンポジウムの一つの争点だった。嶋津会員や私が「変えようと思えば変わるんじゃないの?」という立場である(一緒にしたら怒られないかなあ、びくびく)のに対し、江原氏は再三にわたって、戦後ずっと努力したがほとんど変わっていない・そう簡単に変わるものではないと主張されたわけだが、ええと、変わることを皆が望まなかったから変わらなかったという可能性は念頭にないんでしょうか。

「虚構なんて言うけどそんなに簡単に変わるものなら苦労しない」(意訳)と怒られたわけですが、卵だって落とす床を間違えりゃ割れないですよ? まあこれもフェミニズムにつきまとってきた問題系ですね。女性は抑圧されてきたと言って制約を取り払っても肝心の女性たちが同じ生き方を自発的に選択してしまうという問題。これに対して制約は十分に取り払われていないと(社会のさまざまなディテールに残存していると)江原氏は言うことになるのだろうが、その根拠が女性たちが同じ生き方を選んでいるからだったら循環論法でしかない。

どうなんですかね。

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Comment(2)

よこはま さんのコメント (2004年1月15日 22:47):

一言だけ。やっぱり生き方を選ぶっていうことが(とりわけジェンダーやセクシャリティに関して)どういうことなのか(どういう条件なら選んだといえるのか、そしてなぜ自分で選ぶことが重要なのか)についての認識が、大屋氏(そして嶋津氏)と江原氏など一部のフェミニストの間で根本的に異なるから、議論がかみ合わないのでしょう。

おおや さんのコメント (2004年1月16日 20:19):

たぶんそうなのだと思います。ただ、フェミニストの「自由に選んだ」というための基準は、その結果が彼ら自身の望むものと一致しているということではないかと、私は疑っていますが。

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